peperonia’s blog

月のテレポーテーションに小指を引っかける人の物語

ちょうどいいので

https://live2.nicovideo.jp/watch/lv326518250

これを聴きながらね、時間はたっぷりあるようなので

つらつらをキーを叩いていこうかなと思います

 

中島卓偉さん…のCDはまだ実は持ってないです。ごめんなさい(笑)

近いうちに何か買おうかなとは思ってます。

 

確か乙女座なんですよね……!?

間違ってた!

誰と勘違いしてたんだろう。てんびん座でした。

 

うちの兄がてんびん座です。(小噺)

 

 

さて……

 

今が2020年の7月1日。

産まれたのが1986年の3月15日。今日で12527日目だそうです。34歳らしいです。

 

ウーン……そもそも、なぜ「こうなった」のか……

所説、というよりは把握する材料が異なる立場の人達がたくさんいたのでしょうが

結論として「僕」にたどり着いた人達がいくらかいた、だろう…ということは分かります

 

正確には「僕」の中に存在する、あるいは内包する、または内包「させることができる」

各諸要素を「求めた」あるいは「必要とした」または「利用しようとした」……

表現方法は異なりますが、「僕」に対してアプローチを試みた人や集団が居たということです。

 

で、生まれました。←これが1986年3月15日。

 

問題はそこから後なんですよね。

 

産まれた段階で「おおよその目的が達成できた」人達と

そこから、あるキーとなる日付に向かって「どのように生きていくか」をも必要とする人達とが

居たと思いますが、本質的に求めてるものが違うわけですね。

 

で、現状から考慮するに「最終的には本人には関与しない」が落としどころになったんだと思います。

 

 

ここでちょっと一人称別の使い分けについて書いておきます

「私」……基本的に使いません。一歩引いた所にいる「女性的」な要素を内包しています

「僕」……最近はよく使います。目上に対してはこの一人称を用います。後述する「俺」には含まれていない男性的・人間的な要素を内包しています

 

「俺」……昔はよく使っていましたが、近年は基本的に使いません。

先述の『産まれた段階で「おおよその目的が達成できた」人達』……

この人達が僕に望んでいる「産まれた段階で僕が持っている要素」を多分に持つ一人称です。

 

この段階で、「僕」と「俺」は運命上は対峙する関係にあります。

使い分けをしているわけですから、自身の中で明確に違いがあります。

 

「おいら」…稀に使います。自分自身を客観視…というよりは遠巻きにみるかのような一人称です。

「わらわ」…稀に使います。僕の所属にはないはずの存在を勝手に引っ張り出す時に使ってます。

「我」…使いません。使いませんが存在しています。

「自分」……基本的には全てを内包する一人称です。

「拙者」…どこからともなく現れるやつです。あまり把握していません。

「あきち」…稀に使います。女性的ですが、朴訥とした存在です。

「我輩」…稀に使います。陰の影響が強いです。

 

 

えー、つまり一人称の呼び方で自分自身の中にある「存在」を区分けしています。

特に近年は自覚的に行っておりますから、一人称によって自身の立場そのものを表示していると言えます。

 

 

…さて、郵便局で働き始めたのが2014年秋です。

現自宅に引っ越したのが2015年春です。

 

ここまでの1986年から2015年までの29年間は

全てが「何者かの掌の上」であった29年間だと言えます。

総合的にはそうです。局所的にはザルまたは雑魚でした。

 

占いで細かく指摘をすることは可能ですが、個人的な感覚で話をします。

 

僕の、または世界には「絶対」とされる指標があります。

 

数字で言えば1から2.3.4.5.6.7.8.9.10までです。

無を表示するのは0ですが、これは僕には関わりがありません。

無を生み出したのは某外国の地ですが、これは「人間の営みから生まれたもの」で

神話の世界に無は既に存在していない、あるいは遠く過ぎ去った過去だと言えます。

 

僕には関わりがない「0」ですが、僕には生まれた段階で「-1~あるいはそれ以上」が付与されています。

 

どういうことかというと、僕は生まれた段階で「9ないし10」を付与されています。

これは神に近しい数字で、ほぼ人外です。能力値的にも極めて高いです。

ですが、それは僕を「必要としている人達」が僕に「付与」したものです。

 

それだけだと、その貴重な能力を食いつぶす、使い倒すことになりかねません。

そうでなくても、生きるだけで減衰する可能性が高いわけです。

 

そういうわけで、反対側に「-1~あるいはそれ以上」を付与しました。

それがつまりは「僕」の中にある人間としての部分です。

 

ここまでで、僕が産まれた段階で、僕には「神に近しい9ないし10」と

「僕個人が生きるために用意されたー1~あるいはそれ以上」

の二つ、極論で言うと二人分用意されたことになります。

 

9ないし10はお役目用ですから、僕とは当面の間関係がありません。

マイナスで生まれて生きていくことになります。

 

突然ですが、ここで話を競馬に移します。

 

2020年6月28日に行われた宝塚記念で、クロノジェネシスが6馬身差で勝ちました。

これはおそらく、黒にまつわる人達が、自身の立ち位置がどこにあるのかを

馬に問うた結果だと思っています。

黒にまつわる数字はたくさんありますが、その日の段階では「5なのか6なのか」を問うていたはずです。

 

さて、なぜこの話をするかというと1971年5月15日初版の日本の名馬より抜粋させて頂きます。

P332『十二〇〇メートルを1分12秒8で逃げ切り、二着のハヤトオーに、なんと10馬身差をつけてしまったのである。」

これは、「メイズイ」の項目にある一文です。

メイズイ、僕は明と隋のことだと思っていますが……。

二着の馬名は、僕の実際の名前にもあります。(名を隼士と申します。)

 

この段階で、僕の人間的能力が「0」であることが確認出来たのだと個人的に思っています。

明または隋が10の力を持つとして、僕は0である。ということを競馬で確認したわけです。

そうすると、僕が産まれながら「0」ということになってしまう。

これは決して好ましい状態ではないはずですが、かといって数字を詰める見込みもない。

 

結果として「今の段階で0なら、いっそマイナスにするべきだ」という話になったんだと思っています。

 

全てが「何を言ってるんだ」の世界ですが、現実的に「何を言ってるんだ」と言える世相になりましたので、好きに書きます。

 

 

以前にも書いた李白の「採蓮曲」といい、周といい

また日本書紀の記述を見、思うところは

 

1.日本が地上で「最後(の方)に、最初の(方の)神が住まう地である」と決まっていた

2.それは大陸側で遥か昔に確認されていた

3.遥か古代、西暦で紀元前の段階で、既におおよその時期・場所までもが特定されていた

4.過去の歴史、またその時々の現状と照らし合わせて「いかにどうするか」を決めていた集団がいた

 

ということだと思います。

 

ここでは淡路島ではなく日本だと僕は言っています。

淡路島に関する私見です。

 

『地球を形作った神様がいます。この神様が日本に関与したかは不明です。

神様の子供(実子かどうかは不明です)が、日本に存在しました。

子供は、淡路を食って淡路島を作りました。』

 

僕の認識だと、これだけです。

 

問題は子供です。

 

地球を形作った神様は、僕の認識だと二人です。

二人は「子供には関与せず、遠くから見るだけにする」ことにしました。

子供は、一人でわけもわからず日本に居ることになりました。

子供がどうなったかは不明です。

 

分かることは、まず間違いなく「子供は寂しかったであろう」ということだけです。

 

これが今の日本、また人間の問題に深くかかわっています。

 

つまり、地球が出来た初期段階において「子供は一人ほっておかれて寂しい思いをした」

という感情が根付いてしまった、ということです。少なくとも日本には。

 

そういうわけで「家族」や「子育て」といった問題が、紛糾するのは火を見るより明らかです。

 

問題は子作りですが、神様にとっては「子作り」と「土地作り」は似ていたような気がします。

人のスケールで考えると、当然別個です。「子」と「土地」を全く同じ土台に乗せて考える人の方が稀です。

子作りに関しても「神様のスケール」と「人のスケール」で大きな、隔世の感が否めません。

 

これが「神様側」と「人側」の溝です。

この溝を埋めるために、長い年月をかけて努力したのが人側です。

神様側というのは、そもそも「初期のコンセプト通りに地球を形作った」ので

そのコンセプトから外れるものは勘案しないし、逆にコンセプト通りなら何もしません。

 

人間の尺度でいう「法」や「倫理」とは全く別種のものだということがわかります。

これが、いわゆる理不尽や不幸な目にあった人が「神を呪う人」になる所以です。

 

さて、俗に言う「仙」というものがあります。

 

これは、神様側と人側に「溝」があることを理解した上で

それがなぜあるのか、つまり双方の「共通ルール」と「個別ルール」を把握し

それをもって「我々人間はどのようにあるべきか」を追求した人達だと考えています。

 

問題は、この「仙」と呼ばれる人達も、それぞれ現実に対する認識や対処

また理想とする在り方、未来への展望といったものが異なっていたことです。

 

繰り返しになりますが、全て私見です。個人的意見です。それは押さえておいてください。

 

さて、その「仙」と呼ばれた人たちは遥か昔からいました。

「神」とどのように関係したかは分かりません。

 

所説あるでしょうが、ともかく現代では様々な名で呼ばれています。

例えば、先述の「黒」がそうです。大阪の天神橋筋付近にも居ます。(たぶん。)

 

ユダヤ人」もそうです。世界各地に分布しています。

「華僑」もそうです。華僑は僕の認識だと複雑です。

人よりの華僑、神よりの華僑、上に居るものが正義の華僑、みんなのための華僑……

色々ありそうです。理由も色々あるでしょう。

 

おおよそは過去の歴史に基づいて「個別のルール」が存在しているから

そうなっているだけだと思います。忍者なんかもそうです。

 

 

で、この「仙」の人達は、おおよそ例外なく「僕」に何らかの関係があります。

それはまぁ、僕が神寄りの人間……というよりは、そういう器だから、ってだけだと思いますが

ここでいう器ってのは純粋な器のことです。

 

ここで僕の血筋が関係してきます。僕の出生地も関係してきます。

僕とは直接の血縁関係はないけど、僕にかかわってくる過去の偉人さんもいます。

 

その人達から受け継いだ、あるいは渡された、先送りされた……それらは全て「役目」のためのものです。

 

さて、僕は「マイナス」から生まれたようなもので、生来の気質もあって

かなりザルかつ雑魚だった自覚はあります。おおよそ10代中盤~20代中盤です。

良いところをあげるとすれば「なんか考えてるんだろうな」ぐらいなものです。

 

そういうわけで「こいつやっぱダメじゃね?」って思った人達がいることは想像に難くありません。

その人達が「でもこいつを軸にするってなってるなら、全くアテにしないで計画を立てよう」と

考えるのも理解できます。

 

まぁ、それは別にいいんですが……

 

問題は「立場や考えの異なる集団や組織が、それぞれ個別に計画を立てた」ことで

あまりに多すぎました。

 

で、多すぎたものを一つの人に渡すとどうなるか

 

こうなりました。

 

……えー、まぁ私見です。

 

 

さて、話を最初の神様の話に戻します。

 

まず、世界をざっくり分けて話をします。

 

「世界は旧世界と新世界に分かれているが、旧世界には旧世界のルールがあった」

「新世界には、旧世界から引き継いだ旧世界のルールと新世界のルールが混在している」

「これらは神のルールであって、人間の定める各種の法や倫理とは異なる」

 

という話をします。人間の定める法や倫理は、神側に近づく努力が見られますが

本質的には違うものだと考えて下さい。

 

ある時、旧世界を束ねた女帝と先帝がいました。

数字で言うと女帝が9で先帝が10です。

女帝には子供がいました。

 

ある時、女帝と先帝は何らかのトラブルがあったとみえ、先帝は女帝を封印しました。

先帝は、女帝の代わりに後妻を置きました(ただし当の本人達はただの雇用主と被雇用者ぐらいの認識だったかもしれません)

その時、先帝と後妻は「一切触れない」というルールがあったと思えます。

理由は後妻が先帝を心底嫌っていたからです。

 

先帝と女帝の時代は「力」の時代です。力が全てです。

 

ある時、その世界に、外から別の「何か」がやってきました。

その「何か」は先帝(と後妻)に会いました。

 

その「何か」は先帝に話をしにきました。

つまり、今の世界は「力」だけで問題がある。

私が、世界を少しはマシにするから、「力」を貸してくれ、と。

 

先帝は「そもそもなぜこの私の前に現れることができたのか」を問いました。

ルール上は、無断で現れることが出来ないからです。

 

「何か」はその理由を説明しました。

先帝はそれを聞き「おまえ、それはずるいじゃないか」と思ったことでしょう。

これが、すなわち外法・悪法の誕生です。

 

外から来たものには内のルールが通らない……というのとは少し違います。

 

先帝がこさえた世界では、全てを賄えるだけの「完璧」とされるルールがあり

だからこそ、その支配下にある存在は「生きる屍」でした。

 

その「何か」は、外からルールを熟知したが故に「法の抜け穴」を見つけました。

だからこそ、会えたわけです。

 

先帝は「こいつは虫…(無私にも繋がります)だから、目の前に現れることが出来ただけだ」

「きっと、今までの世界を経験したならば、このようなことは出来なかっただろう」

 

そう思ったに違いありません。

 

だからこそ、「自身の法が通じぬ、それは外法であり悪法である」と思ったのだと思います。

 

「何か」は、生きる屍を見、なればこそ「先帝のルールには問題がある」と言っているわけです。

 

この時点で、立場が異なり、目的や考え方も異なることが分かります。

 

先帝は「わかった」と言いましたが、隣にいた後妻も一緒に連れて行くように言いました。

後妻は先帝が大嫌いですし、言われたわけですから断る道理がないので従います。

 

こうして、新世界は「虫であるごとくの何か」と「先帝の後妻(または被雇用者)」とで作り始めることになりました。

 

この段階で、既に最初の問題が発生しています。

 

というのも、虫であるごとくの「何か」は先帝の存在は知っていましたが

隣に先帝以外の存在が居ると思っていなかったと思います。

 

ですので、この時点で一つのイレギュラー、つまり

『自分一人で新世界を作る』が『二人で新世界を作る』に発展しました。あるいは変化しました。

 

更に致命的なのは「女帝」の存在を「何か」は知りませんでした。

先帝も伝えませんでした。また、自身の力は女帝との共存で成り立っていることもおそらく言っていません。

女帝のことを言っていないのだから、女帝の子供のことは尚更です。

 

 

……ともかく、そうして新世界作りがスタートしました。

スタートの段階で「10」だけだと思っていたが、その陰に「9」が既にいます。気づかれていないだけで。

 

また「旧世界のルールはなくなったので、新世界のルールだけを考えればいい」と

認識している「何か」ですが、実際は旧世界のルールは封印された女帝に残されているのでした。

大変な問題ですが、気づかれることなく話は進みます。

 

後妻ですが、「言われたことに対して返事をする」とだけ聞かされていたはずです。

これは女帝は「自分に対して好きにものが言える」の反対を行くものだと思います。

また、そうであればこそ「嫌いな人の隣にいるのはただの被雇用者だから」と

後妻は思えたことでしょう。

現代に仮面夫婦がいるのも、ある種では世界の成り立ちを追体験しているのかもしれません。

 

 

 

えー、さて、ともかくこうして

虫であるのかのごとくの「何か」←たぶんこれが僕の過去生

後妻←……これが、まぁとある知人…の過去生……だと思う……

 

 

で、新世界作りが始まりました。既に問題だらけですが進みます。

 

さて「何か」と後妻…この段階で「君」になったと思います。

「何か」と「君」とで、世界作りがスタートします。

 

「君」は今まで大嫌いな先帝のそばにずっといたので

さして好きでも嫌いでもない全く知らない赤の他人には

中立的であっても、今までの状況と比例すると「好ましい状況」になります。

 

「何か」は、あまりに理不尽な扱いを受ける生きる屍のために

新世界作りを決めたようなもので、ハッキリ言って「君」はこの段階ではどうでもいいですが

極めて有能であることが分かりました。

というか過去の世界のすべてが詰まっているようなもので……。

 

当然、新世界作りは「力」と「知識」なくして進みません。

 

「何か」は力を"借りました"が

「君は」知識を"与えられている"のです。

 

借りたものは返すが、与えられたものは返さなくてもいい。ということになっていました。

 

さて、従前の通り「聞かれたことにだけ答える」で話が進みます。

「君」は自意識が出来、いろいろと自由に動きたくても、全てはルールの上。

全く自由がありません。

 

 

…さて、新世界を作り始めて、双方に「感情」らしきものが少しづつ芽生えますが

これは新世界を作るに際して「今までの世界のすべてをそのまま使う」ことになっているので

 

それらを使い、地球を形作る時に、今まで死んでいた「感情」が息を吹き返した……

という言い方も可能かもしれません。

 

 

さて、「何か」は「みんな」のために世界を作り出しました。

おそらくは既に指定されてある「条件」に基づいて、着々と作り始めたことでしょう。

 

「君」は過去のすべてを知っています。

どうすれば何がどうなるかを知っていますが、「聞かれたことにだけ答える」ので

知っていても言いません。言いたくても言えない。

 

そうこうするうちに、お互いが持つ個別の感情が、まるで陰ように現れます。

かたや「疲れた」みたいなやつだったと思います。

かたや「話しかけたい」みたいなやつだったと思います。

 

 

はて、ある時、疲れた「何か」は偶然にも意識を一瞬失います。。

「何か」はその一瞬、意識を失うさなかに「寝ていい?」的なことを言いました。

 

「君」は「どうぞ」的なことを言いました。

かくして未知のケースに遭遇します。

 

「君」は聞かれたことにだけ答えるが

「寝ていいかと聞かれて、どうぞと答えた」

 

ルール上は完全にぼっちです。

 

で、たぶん熟考の末…かあるいは一瞬の閃光の後に

「自由にしていい」という結論を得たんじゃないでしょうか。

 

こうして新世界は二つに分かれます。

「生きる屍を見、そして世界を作ろうとした虫のような何かが作り始めた部分」と

「虫のような何かが寝ちゃった後に自由に作り始めた完璧な知識を持つ「君」が作り始めた部分」と

 

たぶんこんな感じです。

 

なお完璧主義者なのも相まって、完璧にプランを作り上げた結果

要求には完璧に答えるが、時間だけが足りない……

 

ということになったんじゃないでしょうか。

 

で、それから後は必至で「時間がない」をつぶやきながら

延々と世界を作ることに邁進したのだと思います。

 

『その最中で、「何か」に対してありとあらゆるものを吹き込むことを

したのだと思います。』

 

この二行が、今現在につながる全てです。

つまりは『音』です。

 

神側が持つルールの土台に根付いた音……なのかな?

これが、「何か」と「君」とで作った"音"です。

 

それを人が、人で発音できるように……なって……

それを実際の生活に落とし込んで…誰もが使えるように……

数多の苦労や努力を重ねた……のが

 

人類です。

 

 

「音」にもいろんな音があります。

 

この辺はまぁ、最近の科学畑の人がよくご存じだと思いますが

先日書いたように、周の人達もご存じだったと思います。

今の日本にも、その流れを汲んでいる人はたくさんいます。

仏教や神道、海外のあまたの……宗教だけではなく、音楽でもそうですが…

 

問題は僕の持つ「音」が何なのか、ということです。