今までに読んだ本からは、色んな影響を受けています。当然です。
ここで少し言葉の定義になりますが
昔は見栄を張っていたこともありますが、今はやめました。
読書については「見た」と「読んだ」で明確に区別するべきだと思ってます。
「見た」というのは、少しでも見たことがある、ちらっとなら覚えてる、その程度です。
「読んだ」というのは、本の内容がイメージ化されて想起可能な状態です。
人によっては、一度読了したものを「見た」、複数回読了したものを「読んだ」と
言う人もいるようですが、僕はそこまでではありません。
現在の僕に大きな影響を与えている本の一つに山本七平の一下級将校の見た帝国陸軍という本があります。
第二次世界大戦に関する本では、僕の中ではこの本が最も僕に合います。
内容はかなりシビアですが、当然といえば当然です。
この本の中で、最も影響を受けたのは終盤に書かれてある二つのシーンです。
ここでは紹介しません。
ともかくも、徴兵される前段階から、戦争が終わる所までが綺麗に網羅されています。
綺麗に網羅、そういう表現がふさわしくない内容なのは間違いないですが
事実としては、そういう表現でいいと思ってます。
言葉や文字、音による表現は、文学的要素に基づくものと
端的に言えば事実か否かの観点に基づくものの二つに大別できると思いますが
自身が生まれるより前の話については、幾らかは文学的要素を取り入れた表現をした方がいいと思ってます。
あまりに惨い事実であるからといって、その事実だけを強調するような表現というのは
精神的に、当時すなわち自身が生まれるよりも前の時代に精神を投影することになりますが
それらは精神的には決して好ましい作用をもたらすものではないと考えます。
この場合の好ましい作用というのは、単純に「今生きている自分」に対しての作用でありまして
つまりは普通に生きていくことに関しては好ましくないだろう、と考えているということです。
僕はあまりに普通ではない生い立ちと、普通ではない様々な束縛や義務を背負っているような気がしますが
だからでしょうか、それとも、だからでしょうが……
『普通』というものを一生懸命と希求し、『普通』というものを真に理解することに努めてきたつもりです。
現段階で言えるのは、どれほど理解し、どれほど実践しようとも
僕は決して『普通』にはなり得ない、ということです。