nubird / peperonia’s blog

月のテレポーテーションに小指を引っかける人の物語

サッカーの話

幼稚園の頃に一年と、小学校の丸六年で

おおよそ七年ほどサッカーをしていました

 

サッカーの話は色々とあるのですが

 

僕は少なくとも当時は

試合が好きでした。

 

ほとんどの試合(練習試合と公式戦、その他の大会)は

普段練習する場所での試合はなく

他所まで出かけていって、グラウンドを借りる形で試合をしていました

 

理由は幾つかあると思うのですが

まずホームグラウンドが「なかった」こと。

 

少なくとも当時は、市内の四つの小学校のグラウンドを

借りる形で練習していましたし、時には河川敷だったりしたので

ホームグラウンドがない以上は、試合もおいそれとは組めなかったんじゃないかなと思います

 

それと、グラウンドが割と狭い所が多かったので

他地域の方がまともな試合ができる(=グラウンドが狭いとまともな試合にならない)

からだと思います

 

余談ですが、今まで試合をした中で、一番狭かったグラウンドは

たぶん市立生瀬小学校のグラウンドです。

 

 

 

で、僕は試合が好きでした。

と言っても、勝つことに頑張るというよりは

負けるのが嫌いなので、負けないように頑張るって感じでした

 

知らない場所に行って、知らない相手とサッカーをする事

それ自体が好きだったような気がします。

 

たぶん、一番試合を多く組んでもらった相手は笹原FCです

今ちらっと見てきたら、ユニホーム殆ど変わってないですね。

オフサイドトラップをしてくる変なチーム」って噂でした。

なんか引き分けが多かった気がします。

 

ポジションはそもそも大半がDFか守備的MFだったので

基本的に「前に行くな」って指示があったので、まぁ点は滅多に取りませんでした。

 

 

 

 

で、そんな試合好きな僕ですが

 

生まれて一度だけ、たった一度だけ

 

途中交代をさせられて「ほっとした」ことがありました。

 

 

それは日生イングス杯の決勝戦だったのですが

そこまでの予選の三試合かな、フルで出てて疲れがあったのと

勝戦のちょっと前から雨が降り

シューズは水を吸って重くなり(予備なんてものはなかった)

どろどろになったグラウンドで足を取られて

 

サッカーどころではなくて、歩くのがやっとって感じだったので

交代『させられた』ことに

 

その時だけは、ほっとしたものです

 

だって歩くのすらきつかったんだもん。ボール蹴るとこじゃなかったので。

 

そこまで控えで出てなかった梅ちゃん(梅原くん)と交代したけど

出てなかった分、元気そうにピッチに出て行ったのを見て

 

より一層、ほっとしたのを覚えてます。

 

 

余談ですが

 

小学校六年生の頃の僕は「ダメな奴」だったと思うし

 

今から考えると、総じてサッカーに関しては「学ばせてもらった」場所で

僕のダメな部分がたくさん分かった場所だったと思ってます

 

懐かしいといえば懐かしいですが

 

何もせずにフラフラするよりは圧倒的に良かったと思ってます